赤ちゃんをミルクで育てたらそれは楽だと容易に推測できます。
だってコントロールできるから。
泣いたらミルクをあげたらいいんだもん。
じゃぁ、母乳は?
実は私は母乳で育てるのがつらかったん‥
赤ちゃんが泣く、とりあえず母乳をあげる、でもまたすぐ泣く( ;∀;)
母乳が楽しい と思えるようになったになったのは3か月過ぎてからだったような…
それからも、えっ、今!!って時に求められて、やりたいことを中断したり(お友だちとランチ中に求められトイレで飲ませたり‥とか)ということも多々あったような…記憶があいまい‥
でね、私は母乳で育てたいと思っていたわけではなく
おっぱいがでたからあげるでしょ というスタンスで母乳哺育をしていました
だってでるんだもん。それだけでした。
今振り返って思うことは
なんでそんなにつらかったん?ってこと
だって、おっぱいだしてあげるだけだよ!?
ほとんど10分くらいだよ!?
なんでそんなにつらかったん??
そんな私の意識が、実は育児を辛くしていたんだな って今ならわかる
夜中に起きることがあってもおっぱいだして添い寝であげたらすぐ寝てたし
外出の時もなにも用意しなくてもどうにかなったし(性格的に備えができない私には合っていました)
そんな便利なことがあったにもかかわらず、なんかおっぱいつらかったん‥という記憶があるのは
私の 育児はつらい という意識の問題だったと今でははっきりわかるのです。
だから、そういう人たちが
育児のつらさとおっぱいのつらさを一緒くたにして
母乳で育てるのは大変 とか 母乳は母の自由を奪う とか 母乳にとらわれる みたいな感覚を持っていることに違和感を覚えるし、もったいないなぁ‥て思う。
そんなダメダメな私だったけど、おっぱいで育てた時間にはなんだか甘い思いがある
おっぱいをあげているときに感じた心の安定やしあわせな気分
おっぱいを飲んでいる子どもの表情や笑顔
それはやっぱりいい思い出だと思う
おっぱいが辛いのではなく、育児が辛いのだとしたら
たとえミルクでコントロールしようとしてもできないし
結局は育児のつらさを感じてしまうんだと思う
だって、そういう制限をしているし、そういう設定をしているから
美意識の問題もあると思う
私はやっぱりおっぱいを飲んでいる光景を美しいなぁって感じる
子育て相談の場所で、または日常で
おっぱいをあげている人をみかけると
美しいなぁって感じる 色っぽいなぁって
ホンマでっかTV情報では(一応 では と書きます)
母乳をあげている女性は男性を引き付ける みたい
種の存続を守ってくれているわけなので、種を残したい男性性から見たらものすごく引かれるらしい
なんとなく理解できる
実際、私は美しいなぁって感じるから
ただね、これも意識の問題で
母乳哺育は 辛い・嫌だ・奪われる と設定している人の授乳姿は美しくないのかもしれない
そこまで嫌だったらそれはもちろんやめていいと思う というかやめるべき
でもね、私のように
おっぱいと育児のつらさを混同して
おっぱいを辛いと勘違いしている人、意外と多いんじゃないかなぁって思う
だとしたら、もったいないなぁ って
私たちが信頼している宇宙(偉大な何か や 神 と呼ばれるもの)が
そんな采配をするかなぁ‥って思う
おっぱいってもっともっとしあわせな体験だし
もっともっと楽しいうれしい美しい時間なんだ
おっぱいで育てると大変だ
自分の時間を奪われる
赤ちゃんと離れることができない
夜眠れない
そんな設定、制限をはずそうよ って思う
いらないよ って思う
本質はそこにはない
ふっくら だったり むっちり だったり
私たちのおっぱいはどんな形態であれ全て美しい と思うんだよね
そのおっぱいを十分生かしてあげよう って思うし
その豊かさを体感しようよ って思うから
でね、このおっぱいの話
「でもおっぱいがでませんでした」 とか
「おっぱいが痛くて無理」とか
「おっぱいを嫌がられた」とか って声も聞きます
その件は、お産した場所に問題があったことが大いに疑われるし
おっぱいのあげ方に問題があったことも大いに疑われるのよ
そのことは以前にも書いたし、また書こうと思う
とにかく、おっぱいが大変 なのと 育児が大変 なのを一緒くたに語るのは間違っていると感じることと
意識の問題・制限の問題だって感じていることを書きたくて書きました
そして、Birth Sola はその意識を変えること、制限をしないことにチャレンジしていきます。
しあわせなお誕生は世界を変える☆
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