19年前、はじめての妊娠を知ったとき
私は 喜び ではなく 戸惑い を感じていた
もう自由でいられなくなる‥ という戸惑い
子どもが生まれる、母になる
それは当時の私に もう自由でいられなくなる ということと同義語だった
恥ずかしくてあんまり言いたくないけど、泣いた‥
だからもちろん私の子育てはとても辛かった
何の修行なんだろう と思っていたし
自分でも戸惑うぐらいにイライラしていた
子どもはかわいいし愛おしいと感じていたけど
一緒にいる時間はほとんど我慢していた
なんでこんなに子育ては大変なんだろう
私はまったくもって向いていない
子どもがかわいそうだなぁ と思って泣いたことも何度もある
それは、私が
子育ては自由を奪う と決めていたからだと今ならはっきりとわかる
でも、宇宙のすばらしい采配は
私にもうひとりの子どもを授けてくれて
散々なこともたくさんあったし、泣いたこともたくさんあったけど
今、子どもは 育つ 母となった私たちはただ見守ればいいんだということを知りました
もちろん今でもイライラを感じることはあるけど
子どもが育つ時を一緒に過ごせる 豊かさ や 喜び を知ることができました
今は
四六時中子どもの世話に明け暮れる という状態ではないけど
だからそう言えるってことでもない
ただただ残念な思いで
もう一度この子たちとの時を取り戻したいなぁ って思うこともある
これが私の人生なんだから ま、いいか と思うし
そのおかげで今の感情があるわけなので
あの頃の私も愛おしいなぁ って思う
私が今そう思えるのは
私への信頼を取り戻したこと
だからこそ子どもたちへの信頼が確かなものになったこと
パートナーへの信頼も深くなった
もうすでにしあわせで在り 自由で在る
ということがわかっているので不安はない
何が起きても、どんな感情が生まれても
それは過程であり
しあわせで在ることがわかっているからおたおたしなくなった
でもね、
やっぱり私の感じていた 子育ての辛さ はいらない設定だったなぁとは思う
ただただ残念に思うし、ばかばかばか!って身震いするほど恥ずかしい思いもある
だから私は伝えたいんだと思う
ほんとにもったいないもの ばからしいもの
今の私が
子どもが育つ時を一緒に過ごせる喜びを感じられるのは
ほんとに意識が変わっただけだから
豊かで喜びに溢れていると感じる時間と
我慢しなくてはいけない時間は
人生においてありえないほどの影響を及ぼしている
それは、子育てを手放すことでもなく
母となることを否定することでもなく
ただただ意識を変えるだけ
子どもは自由を奪う存在でもなく
手がかかる存在でもなく
母は何かを我慢しなきゃいけない役でもなく
育てなければならない役でもない
いつでも自由でいられる
子どもは私たちを導いてくれる
母となり父となった私たちは
ともに人生を豊かに美しく彩るパートナーで在る
ほんとに?
だってやっぱり子どもは手がかかる
もうすでにそばできーきー言ってる って疑っている人たくさんいると思う
私がそうだったから
でも、そこは決めなくてはいけない
意識を変えなくてはいけない
知ること、実際にそうしている人たちを知ること
それがいちばん意識を変えやすいと思う
私がそれをやるから
それが私の喜びだから
なんだか最近ちょっと違うって感じることがあって
それは、
子育てから自由になろう っていうことが
子育ては大変だっていう意識から自由になろう ということじゃなく
子育ては大変だという意識の元、
だから子育てを手放して自由になろうということを感じたから
子育てが大変だという意識で子育てを手放しても
それは全然自由でなく豊かでもない
その大変な子育てを手放すと
その大変な子育てを請け負わなければならない人が現れる
それは違うって感じたから
子どもはみんなで育てようっていうのは
子育てが大変だからではなくて
子育てが豊かだから
そして私は
「わかる、子育てって孤独だよね
夫も協力してくれないし、母親って大変だよね
みんなそうだよ みんな同じ
だから頑張ろう 大変なことは少し手放して 甘えたっていいんだよ」
時には涙して言っていた自分に完全に飽きたんだと思う
私は私の生きたい世界を創る
スタッフブログ一覧に戻る