体験を奪う という子育てについて
息子くんがはじめてのイタリアひとり旅に旅立つにあたり
自転車は組み立てられるの?
そもそもどうやって持っていくの?
一日どのくらい移動できるの?計画は実現的なの?
と、あれこれ仮想の世界で不安になった私は
インターネットで検索して、なんて、自分が行くわけでもないのに
お節介をやこうとしていました。
そしたら息子くんの機嫌がみるみる悪くなって
そこでようやく 余計なことだ と気づき
信頼していたら不安はなくなるんだ ということを体感しました。
息子くんの人生を、地球に生まれてきたことを、命を 信頼していたら 余計なこと はいらない。
もうひとつ気づいたことがあります。
体験を奪う 子育て
危ないからやめなさい
こうしたらうまくいくよ
こうしたらいいよ
それは無理だと思うよ
子どものためという名のもとに
どれだけの体験を奪っていたんだろう‥って
私たちはしあわせになるために生まれてきている
この地球で、しあわせになるための体験を楽しむために生まれてきている
その体験を奪っていたのかも‥って
母との確執や父との確執、家族との確執を感じている人がいるとしたら
それは 体験を奪われた ということなんじゃないかなぁ って気づきました。
私たちは体験がすべてです。
体験して、体感して成長していく
その成長の機会を私は奪っていたんだなぁ‥って気づいたのです。
息子くんがひとりで考えて行動してイタリアに行く
信頼してからは、その姿はたのもしく、成長を見守れる楽しさ・うれしさを感じました。
それは子どもと過ごすどんな瞬間にもあって
体験を奪わないことで、日々体感できることなのかもしれない と気づいたんです。
子育てがつらい・育児は育自・子育ては修行 なんて思っていたのは
目の前の子どもを信頼せずに
不安や心配から 余計なこと をしていたから。
そもそも 育てる必要はなく
育つ を見守ればいいだけだったんです。
子育て を 子育つ にかえたら
子どもを信頼して、体験を奪わず見守ったら
つらさでも心配でもなく、喜びにかわるんだと体感しました。
子育つ
それは、ほんとうに楽しみでしかない体験なんだと感じました。
これは息子くんからのギフトです。
気づけたことで私の世界が変わりました。
より自由で美しい世界です。
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